壮絶な過去を持っていた。学びや交流で地域に貢献する大船渡のリーダーの歩み

大船渡の街で穏やかな笑顔が素敵な石川量一さんは、ボランティアで認知症カフェ「みず色カフェ」を主宰しています。地域の人々と温かく交流する石川さんのその姿からは想像もつかないほど、彼の歩んできた道は壮絶なものでした。

少年時代に経験したチリ地震津波での家族との別れ、そして長年彼を苦しめてきたPTSD。家業の靴屋を畳んだ60歳から、石川さんは自らを救うために「心理学」という新たな扉を叩きます。

※PTSDは心的外傷後ストレス障害のこと。

壮絶な過去をどのように受け入れ、なぜ今、地域の力になろうと取り組んでいるのか。一歩ずつ前へ進み続ける石川さんの「第二の人生」の物語を紐解きます。

石川量一(いしかわ・りょういち)
大船渡高校卒業後、家業の靴・かばん店を約40年経営。60歳で廃業後、放送大学で心理学を学び、子どもの頃に患った自身のトラウマを理解する。現在は認知症カフェ「みず色カフェ」代表、太極拳指導員として、地域の健康と交流のために活動中。

チリ地震津波の体験とご自身のPTSDについて

――石川さんの人生において、少年時代の津波体験が非常に大きかったと伺いました。

昭和35年の「チリ地震津波」ですね。東日本大震災とは違い、日本では地震の揺れがないまま、海の向こうから突然津波がやってきました。私が朝、目を覚ましたら、すでに家の中に水が入り込んでいたんです。当時、家には家族5人とお手伝いさんがいましたが、皆パニックになりながらバラバラに逃げました。

――その際、ご家族を亡くされたのですね。

はい。私の目の前で、親父と下の弟、そして妹の3人が波にのまれて亡くなりました。奇跡的に助かったのは私とおふくろ、お手伝いさんの3人だけ。大船渡全体で55人ほどが亡くなった中で、うちは一度に3人を失ったんです。

――当時の心のケアなどは、どうされていたのでしょうか。

今でこそ「PTSD」という言葉がありますが、当時はお医者さんでさえそんな知識はない時代です。一番大変だったのは、学校の先生が、被災した私たちに津波の作文を書かせたことでした。

被災した実体験を、当時の光景を思い出しながら書くわけです。後から振り返ると、これはトラウマをさらに悪化させる対応であったかもしれません。

――その恐怖とは、どのように向き合ってこられたのですか?

被災直後は死の恐怖で酷いときには、1日に4軒も病院をハシゴするようなこともありました。少しの不調でも非常に心配になってしまうんです。でも、仙台へ就職して海から離れた時期があったことや、大船渡に戻ってから消防団に入り、火災現場などの「現実の恐怖」に直面する経験を重ねることで、少しずつ度胸がつき、克服していけたように思います。

――3.11の時は一目散に避難できたとお聞きしましたが。

3.11の二日前にも大きな地震がありましたが、津波の恐怖があったので、このときは一目散に山の方へ逃げました。陸前高田市の人は、それまでに地震が起きても津波が来ることはあまりなかった経験があったようで、逃げる人は少なかったですね。

震災当日は、高台に病院があって1階を解放したら避難者が300人くらい来ました。あのときは大変でした。

60歳からの再出発により心理学を学ぶきっかけを得る

――家業を辞めた後、新たに「心理学」を学び始めたのはなぜですか?

縁あって陸前高田市の精神科病院で送迎や雑用の仕事をすることになり、そこで多くの患者さんと接したのがきっかけです。患者さんと話をする中で「なぜこの人は心を病んでしまったのか」ということに関心が出て、60歳を過ぎてから放送大学に入学しました。ここで心理学を学び勉強することが楽しくてしょうがなかった。

――実際に学んでみて、どのような発見がありましたか?

先生の講義を聴く中で、自分が長年苦しんできた恐怖心や、なぜ病院をハシゴしてしまったのかという行動の理由が、すべて理論的に説明できるようになったんです。

「そうか、あれはPTSDの影響だったんだ」と客観的に自分を見つめられた時、何十年も抱えてきた重荷がスッと軽くなるのを感じました。学びによって、ようやく自分自身を救うことができたんです。

地域での活動。みず色カフェと太極拳

――現在はその学びを活かして、「みず色カフェ」を運営されているそうですね。

はい、「みず色カフェ」は認知症予防を目的とした集いの場です。認知症カフェとも言います。認知症のシンボルカラーはオレンジですが、私たちは「水曜日」に開催するので「みず色カフェ」と名付けました。病院時代の仲間である看護師さんたちと一緒に、ボランティアで運営しています。

※認知症カフェとは、認知症の方やその家族、地域住民、専門職が気軽に集まり、コーヒーを飲みながら交流・相談ができる「安心できる居場所」のこと。

――具体的にどのような活動をされているのですか?

毎月1回、私が心理学の知識を交えて「健康でいるための話」をしたり、歌を歌ったり、紙芝居を披露したりしています。

参加される皆さんは非常に前向きで、「ここに来て人と話すのが一番の楽しみ」と言ってくださる。人との交流がなくなることが衰えの一番の原因ですから、この「しゃべる場所」を大切にしています。

――太極拳の方も、かなり本格的に取り組まれているとか。

太極拳を始めてからもう6、7年になりますね。今は「指導員」の資格を持っていて、次の機会には準師範の試験を受ける予定です。週に何度かは早朝に公園で太極拳をやるのが日課です。ゆっくりとした動きですが奥が深く、心身のバランスを整えるのに役立っています。

生涯現役で大船渡で活動を行いたい

市の花に指定されている椿

――これから大船渡で取り組んでいきたいことはありますか?

一つは、今やっているみず色カフェの輪を広げていくことです。それから、最近の若い方や独身の方々のために、昔でいう「仲人」のような世話焼きのようなこともしてみたいですね。人と人をつなぐ役割が、今の時代には必要だと感じています。

――最後に、石川さんが大切にされている想いを教えてください。

結局のところ、私自身が一番『どうすれば心穏やかに生きられるか』を知りたくて、心理学を追い求めているだけなのかもしれません。

でも、自分が悩んで学んできたことは、きっと同じように不安を抱える方の役にも立つはず。特別なアドバイスをするのではなく、学んだことを分かりやすく共有して、みんなで一緒に少しでも楽に生きていきたい。

そうやって誰かと関わり続けていられたら最高ですね。

☆ ☆ ☆

今回はチリ地震津波や東日本大震災という壮絶な経験を乗り越え、歩み続けてこられた石川さんの人生と現在の活動について伺いました。

「早生まれで、子どもの頃は体力差に苦労した」と笑う石川さんですが、現在のお姿からは、そんな過去を感じさせないほどのバイタリティが伝わってきます。

心理学の学びを自分自身の救いとするだけでなく、様々な活動を通じて地域へと還元しようとする石川さんの姿は明るく、何事も前向きなエネルギーに満ちあふれていました。これからも、その輝きで大船渡を照らし続けてほしいと思います。

となえぴでは、これからも大船渡市に関わる人たちを取材していきます。

〈取材・文=ひろゆき(@himon_da)/編集=うぉーかー(@kiima_0617)〉

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