未経験から吹奏楽団へ。知らない土地・大船渡で見つけた、私の居場所
岩手県宮古市から大船渡市へと移住してきた新屋さん。見知らぬ土地で新しい生活をスタートしました。彼女が扉を叩いたのは地元の社会人吹奏楽団「ぷなと音楽団」。未経験から楽器に挑戦する姿を伺います。新屋さんは地域の人々と繋がりも得て、自分らしい生活を築いていきます。
実は、大船渡での暮らしが心地よく感じられた背景には、「私自身の心との付き合い方も大きく関係しています。元々抱えていた病との向き合い方も上手くいき、健やかな生活を送っています」と語る新屋さん。その歩みについて、たっぷりとお話を伺いました。

新屋道子(にいや・みちこ)
岩手県宮古市出身。東京へ進学後、結婚・出産を経て岩手へ。夫の転勤を機に大船渡市へ移住。現在は「ぷなと音楽団」でのフルート演奏のほか、絵画、短歌、釜石での神楽(篠笛)など、多彩な芸術活動を通じて地域と繋がりながら、自分らしい暮らしを楽しんでいる。
「初心者でも大丈夫です」の一言が、知らない街での暮らしを変えた

ぷなと音楽団のメンバーと
――「ぷなと音楽団」とは、どのような楽団ですか?
大船渡を拠点に活動している市民吹奏楽団です。幅広い世代が参加していますが、一言で言うと「とにかく熱い」。学校の部活動ではないのに「そこはそうじゃないだろう」と真剣に意見を伝え合う情熱あふれる方が多いのが印象的です。
その真剣な姿に圧倒されることもありますが、一つの作品に全員で向き合おうとする熱量に、驚きました。「自分もいつか、あんな風に吹けるようになりたい」と思わせてくれる、素晴らしい楽団だと思います。
――吹奏楽未経験で、なぜ楽団に入ろうと思われたのでしょうか。
昔から絵を描いたり写真を撮ったりすることは好きでしたが、それを人に見せたり共有したりすることはありませんでした。そんな時、学生時代に少しかじった程度のフルートを「今、大人になって、どこまでできるだろう」と、自分を試してみたい気持ちが芽生えたんです。
でも、大人になってからの未経験での挑戦は勇気が必要です。そんな時、楽団のホームページに「初心者でも大丈夫です」という言葉を見つけ、一歩踏み出せました。最初はステージに立つ目標はなくて、ただ楽器に触れて、少しでも音が出せるようになりたいという、小さい挑戦のつもりで連絡しました。
――入団後に何か苦労に直面することはありましたか。
一番驚いたのは、飛び交う専門用語の多さでした。たとえば、音を合わせるチューニングの際、皆さんはドレミではなく「ベー」や「ゲー」といったドイツ語の用語を使います。私は「ベーって何? シなの、ドなの?」という状態からのスタートで、周囲がパッと音を合わせる中で自分だけが立ち尽くし、取り残されたような疎外感を感じていました。
また楽譜には「アンダンテ(歩くような速さで)」や「アマービレ(愛らしく)」などのイタリア語の指示も並びます。「ゆっくり吹けばいいの? 優しく吹けばいいの?」と頭が真っ白になることもありました。最初は「こんな初心者がここにいていいんだろうか」と、毎回ドキドキしていましたね。
――その不安を、どのように乗り越えていったのですか?
思い切って、団長さんに今の不安を正直にぶつけてみたんです。そうしたら「うちは中学生も受け入れることにしたので、初心者を切り捨てるようなことは絶対にしません。土日でも時間がある時に、用語から何から教えますよ」という、とても温かい言葉をいただきました。
その一言で、私の早とちりだった、もっと食らいついていこう!と前向きになれました。
言葉の意味を完璧に調べ上げなくても、皆さんと一緒に吹いているうちに、曲の感じから「あ、ここは優しくなんだな」と体で理解できるようになってくるんです。たとえ音楽大学を出ていなくても、大人になってからでも、自然と体が覚えていきました。
――実際にコンサートのステージに立った時の感想を教えてください。
入団して1年目は自信が持てなくて、「まずは裏方のスタッフとして参加してもいいですか」とお願いしました。舞台袖からステージの様子をじっくり見て、流れを把握することから始めたんです。
その準備期間を経て、2年目にようやくリアスホールの大舞台に立つことができました。
当日はものすごい緊張があって、普段できていることができなくなったり、指が動かなくなったりした経験があったので、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせました。
終わった瞬間に客席からもらった大きな拍手を聞いた瞬間、ほっとしました。最後まで吹き切ったこと、あのステージに立てたことは私にとって、大きな体験だったと思います。
地域の人の気遣いが私にとって温かい関係。開かれた街での新しい暮らし

賀茂神社から見えた虹
――大船渡に来られた経緯について教えてください。
私は岩手県宮古市の出身で、以前は地元の缶詰の工場で働いていました。そこで主人と出会ったのですが、宮古工場の閉鎖が決まり、主人が大船渡工場へ転勤することになったんです。それに同行する形で大船渡に来ました。それまでは一度も訪れたことがない土地だったので、まさにゼロからのスタートでした。
――知り合いもいない、初めての土地での生活はいかがでしたか?
最初は不安でいっぱいでした。どこにスーパーがあるのかさえ分からなかったので、まずは自分の足で歩ける範囲を毎日歩き回ることから始めました。「あ、ここを歩けばキャッセンに行けるんだ」とか、少しずつ自分の世界を広げていったんです。
驚いたのは、大船渡の方々の温かさです。
散歩をしていると、向こうから「最近越してきた方?」「困ったことがあったら何でも聞いてね」と声をかけてくださる。知らない土地で孤立するんじゃないかという恐怖がありましたが、ご近所の方々の「見てくれている安心感」がありました。
――それは安心感がありますね!以前の生活と比べて、心境の変化はありましたか?
宮古にいた頃は、子育てや仕事に必死で、どこか「お母さんなんだから、こうしなきゃいけない」という無言のプレッシャーに縛られて、窮屈さを感じていたんです。自分のやりたいことは二の次でした。
でも、大船渡に来て出会った方々は「やりたいことがあるなら、どんどんハマりなさい!」と背中を押してくれる自由な人ばかりで応援してもらっています。
ここは釜石にも気仙沼にも、BRT(バス高速輸送システム)を使えばアクセスしやすく、どこか「開かれた」感じがするんです。仙台にも行けますしね。そんな街の雰囲気に影響されてか、私の心も以前よりずっと健やかに暮らせるようになりました。
――知らない土地で暮らすうえで、心身の不安はありませんでしたか?
実は私、「統合失調症」を患っています。
体調に波がある時期もあります。感情が抑えきれなくなったり、強い不安に襲われたりすることも。でも、主治医からは今は「寛解」の状態だと言われています。
薬を継続して飲むことはもちろんですが、大船渡の美しい景色や、楽団での交流、短歌や絵画といった趣味に打ち込んでいると、不思議と落ち込むことがありません。
「次はこれを覚えなきゃ」「あの演奏会に向けて頑張ろう」という前向きなモチベーションが、今の私の安定に繋がっています。大船渡という「挑戦を後押しする環境」そのものが、私にとっての最良の薬なのかもしれません。
「外の人」を自然に巻き込む明るさ。挑戦が連鎖していく、大船渡という街

釜石の小正月行事の神楽に使用したお神輿
――新屋さんから見た「大船渡らしさ」とは何でしょうか?
「外の人をも巻き込む、明るさ」だと思います。お祭りや花火もすごく豪華で、みんなで楽しもうという活気が街全体に溢れていますよね。一人でポツンとしている人を放っておかずに「一緒にやろうよ」と声をかけてくれる。そんな文化活動に熱心なこの大船渡の雰囲気が、私にはとても合っています。
ここでは年齢に関係なく、やりたいと言えば誰かが手を引いてくれる。人の繋がりの温かさが「大船渡らしさ」だと感じます。
――今後、新しく挑戦したいことはありますか?
実は、吹奏楽の活動を通して知り合った方から「フルートが吹けるならこれも吹けるはずだよ」と誘われて、釜石の神楽で使う「篠笛(しのぶえ)」の練習を始めたんです。今は小正月の行事でのデビューに向けて練習中です。
若いうちは「自分には向いてない」と思ったらすぐに諦める癖がありましたが、大船渡に来てからは「分かるまで食らいついてみよう」という粘り強さを持てるようになりました。これからも、この街の皆さんの熱意に呼応しながら、大人になってもまだまだ続く「自分自身の成長」を楽しんでいきたいと思っています。
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大船渡の空気に溶け込む新屋さんの姿を見て、「自分に合う土地がどこかにある」という事実は、今苦境にある人にとって希望になるのではないかという気づきになりました。
「ぷなと音楽団」の活動や地域の方との交流など、無理のない自然体な関わりが、今の新屋さんの充実した暮らしを作っています。大船渡という土地の魅力と、新屋さんの柔らかなお人柄が重なり合う。そんな素敵な関係性を知ることができ、取材担当として喜びを感じています。
大船渡のさらなる姿を探して、これからも取材を継続したいと思います。