大規模山火事から1年。大船渡・綾里の経験を「全国の教訓」に変えるために伝えたいこと

「わずか1時間で3km先まで火が広がる」
信じられないようなスピードで山々が燃え広がったあの日から、1年が経ちました。

2025年2月、岩手県大船渡市三陸町綾里地区を襲った「大船渡市大規模林野火災」。未曾有の事態を前に、地域を支える人々は対応を迫られていました。

今回は、避難所の運営や住民支援の最前線に立たれた村上芳春さんにお話を伺いました。避難当時の物資の不足や避難生活で見えてきた「地域コミュニティの分断」という課題があります。

あの経験から私たちは何を学び、どう未来へつなげるべきなのか。村上さんの言葉から、これからの地域のあり方を考えます。

村上芳春(むらかみ・よしはる)
綾里地区まちづくり委員会 委員長。令和5年より綾里地区公民館長も兼務。大規模山火事の際は、自ら避難誘導や救助に奔走し、現在は被災した地域のコミュニティ再構築と、自主的なまちづくり活動の先頭に立っている。

緊迫の初動対応:予測不能な延焼と決死の救出劇

山火事で煙が上がっている様子

ーー山火事が発生した直後、現場の緊張感はいかがでしたか?

実は、発生日の1週間前にも別の山火事があり、ようやく鎮圧した矢先の出来事でした。最初は「県道を越えることはないだろう」と楽観視していた部分もありましたが、その予測は一瞬で裏切られました。

わずか1時間ほどの間に3km先まで火が広がる、信じられないスピードでした。防災無線の広報が鳴る前から「消えたはずの山から煙が見える」と電話が入り、不穏な空気が一気に立ち込めたのを覚えています。

ーー住民の方々はどのように避難を開始されたのでしょうか?

避難指示が出るのを待たず、自分たちの家の前まで火の粉が飛んできたのを見た地区の住民が、「これは危ない」と自主的に判断して公民館(綾姫ホール)へ集まり始めました。

ただ、中には車のない小学生や高齢者の方もいらっしゃいます。緊急事態のため、普段は患者輸送に使っている9人乗りのあやひめ号を事務局長の熊澤正彦さんが運転し、二往復して隣の越喜来(おきらい)地区までピストン輸送を行いました。全員の避難を開始した頃には、この場所にも黒い灰がポツポツと降り注いでいました。

ーー燃え盛る火の中での緊急だったエピソードを教えてください。

ある地区に避難指示が出る直前、「逃げられなくなった人がいる」と連絡が入りました。すでに道路は封鎖され始めていましたが、居合わせた駐在所長にお願いして通してもらい、消防団の関係者と二人で現場へ向かいました。

道路の両側が火に囲まれ、煙で視界は最悪でした。センターラインの白線だけを頼りに車を走らせました。すると、奇跡的にそこだけ煙がないクリアな空間があり、おばあちゃんが一人で立っていらしたんです。無事に車に乗せて戻る途中も、頭上では電線が垂れ下がり、まさに間一髪の救出劇でした。

支え合う避難所:姉妹都市の絆と心の通った支援

消火活動をする自衛隊のタンデムローター

ーー避難所ではどのような役割を担われていたのですか?

避難所の運営は市職員がメインですが、私は地元の人間として各集落の状況を把握するため、人数確認や安否確認を担当しました。

朝夕2回のミーティングを自分たちで始め、住民の皆さんの要望を聞き取って、市役所の避難所本部へ届ける「連絡調整役」を務めました。行政経験があったこともあり、住民の不安を少しでも解消したいという思いでした。

ーー避難所に来た人たちには、何か困りごとがありましたか?

「火を消し止めればすぐ戻れる」と何も持たずに逃げた方が多く、薬の不足が深刻でした。地元の診療所の先生が処方箋を出し、市内の薬剤師さんが避難所まで薬を届けて、一人ひとりに説明しながら手渡してくれたのは本当に助かりました。

また、女性たちが「下着の替えがないからお風呂に行けない」と困っていた際、メディアを通じて発信したところ、翌日には全国から驚くほど大量の下着が届きました。局地的な災害だったからこそ、全国の皆さんの温かい目が注がれていることを実感しました。

ーー他の都市からの支援はありましたか?

姉妹都市である山形県最上町とは、夏は綾里の海へ、冬は最上のスキー場へとお互いの子どもたちが交流する歴史があります。今回の火災では、最上町の方々が本場の「芋煮汁」を届けるために、深夜2時半に山形を出発し、朝食の時間に合わせて駆けつけてくれたんです。朝の5時半から調理を始めてくれたその献身的な姿には、本当に頭が下がる思いでした。

東日本大震災の時もそうでしたが、銀河連邦の仲間である相模原市や肝付町(きもつきちょう)など、連携都市からの手厚い支援は復興の大きな力になりました。

※銀河連邦とは、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の施設がある、または、あった自治体で構成した交流組織である。

若者が灯した「盆踊り」の火と全国へのメッセージ

綾里夏祭りのもち投げの様子

ーー火災があった年の夏、あえて「盆踊り」を開催したのはなぜですか?

コロナ禍で6年間も中断していた伝統を、どうしても絶やしたくなかったんです。綾里地区では「25歳の同級生」が運営を担うのが伝統ですが、空白の期間があった3学年が合同で立ち上がってくれました。

「火災があった年に不謹慎ではないか」という非難も覚悟の上でしたが、若者たちは「やらないで後悔するよりはいい」と決断しました。結果として、全国からの寄付も集まり、例年以上の賑わいとなりました。バラバラになりかけていた住民の心が、あの太鼓の音で再び一つになった。あの日、小学校の校庭に広がった光景は一生忘れられません。

ーー今、直面している最大の課題と、全国へのメッセージをお願いします。

支援をいただいたすべての方に感謝を伝えたい。そして、この山火事の恐ろしさを全国の皆さんに伝えたいです。乾燥と強風が重なれば、山は一瞬で姿を変えます。想像以上の出来事が実際に起きました。

被災後の現実は厳しいのが現状です。被災跡地が「土砂災害警戒区域」になり、家を建て直したくても戻れない人が大勢います。港地区では被災した15世帯のうち、戻るのはわずか4世帯です。

また、街のコミュニティが崩壊の危機にあります。これからの街づくりは、小さな集落単位ではなく「綾里地区全体」という大きな枠組みで支え合わなければなりません。

私たちの経験を教訓に、新たに防火意識を持っていただけたらと思います。二度と同じ悲劇を繰り返さないことが、私たちの願いです。

☆ ☆ ☆

大船渡市の山火事についてニュースや新聞を通じて知っていたはずでしたが、村上さんの口から語られる事実を前に、いかに自分が何も知らなかったかを痛感させられました。

現場の最前線にいた方から伺う体験談は、どれも緊張感と重みがあります。この経験を地域の中だけで留めるのではなく、広く発信することに大きな意味があると感じました。今回の取材は「防災」というものを自分事として捉え、改めて考え直すための貴重な時間となりました。

地域の出来事や課題を取り扱う記事をこれからも作成し、広くお伝え出来たらと思います。
〈取材・文=ひろゆき(@himon_da)/編集=八巻美穂(@bh1ly

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